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勉強する意味って本当にあるのか真剣に考えてみた

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こんにちは、あらきんです。

今日は誰しもが一度は考えたことのある「勉強する意味」について考えてみようかなと思います。

 

 義務教育の意味とは?

日本には義務教育という制度がありますよね。

「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする」

 

また、日本では国民の義務として、「教育を受けさせる義務」があります。これは子をもつ親に課せられる義務です。義務教育には大きく2つの意味があって、

①社会で自立的に生きる基礎を培うこと。

② 国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うこと。

 

似たような意味ですが、どちらも子供が大きくなって自立したときに必要最低限の知識を身に着けることを目的としているように感じます。②の意味は集団の一員として生きるために大事なことを身に着けるため、というかんじでしょうか?

 

 

しかし、義務教育の範囲である中学生の段階で、ただ普通に生活するには不必要だと思えるようなことまでも勉強させられます。実際、数学なんて四則演算ができれば十分です。分数の掛け算すら使う機会はあまりないのではないでしょうか?

 

じゃあ、一体なぜ勉強をしなくてはいけないのか?

 

 

勉強をする意味

まず、勉強する意味というには弱いですが、勉強をすることによってどんな効果があるのかということを考えます。

 

「今でしょ」の林先生は、5教科(国数英社理)の中で数学がズバ抜けて大切だと言っていました。

数学は論理的思考力を鍛えます。論理的に物事を見る力が鍛えられれば、物事の仕組みを単純化し、様々な形に応用することができます。社会に出てから直面する複雑な問題も数学的論理思考で整理することでよりスムーズに解決可能であると林修先生は語りました。

 

 

勉強にはこういった副作用的なものが存在していると考えます。しかし、実際勉強しているときというのは、その効果を実感することはないですよね。

感じるのは、つまらないとか苦痛だったりとか、そういう負の間隔が多いのではないのかなと思います。

 

 

 

僕も勉強は苦痛に感じるときもあります。高校生のときに親と先生との三者面談の場で先生にこういう質問をしたことがあります。

「数学や英語を勉強する意味はわかりますけど、古文を勉強する意味ってなんですか?」と。

 

僕は国語が苦手でした。なんでこんな勉強をしなくてはいけないのかと疑問に思っていたのですが、先生は一言だけ、「受験で必要だからだよ」と言ったのです。

 

 

 

いやいやいや…。と思う人もいるかもしれませんが、当時の僕はこの言葉でなぜか腑に落ちました。なぜ勉強するのか?それは受験で必要だから、大学に行くために必要だから。

 これが僕が思う勉強する意味です。もちろん大学に行くこと自体が目的ではなく、ゴールは人それぞれですがもっと先にあります。

 

いい会社に入ることが目的の人もいれば、独立して起業したいと考える人、外国で働きたい人、一芸を極めたい人…。様々です。しかし、明確なゴールを見据えている人もいるでしょうが、将来へのなんのビジョンも持たない高校生は少なくないと考えます。

 

 

大学に行く意味とは?

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大学に行くこと自体に意味を持たずとも、専門的なことを勉強したり、多くの見分に触れ、新しい経験をすることで、将来へのビジョンは確実に高校生のときより見えるようになるはずです。

それだけで大学に行く意味は十分あるとは思うのですが、大学に行くことで将来への選択肢というのはとても増えます。これが僕は何より大きなメリットだと考えます。

 

 

こういうことを考えたときに、大学に行くにしてもより良い大学を出ることがさらにそのメリットを大きなものにしてくれるはずです。いい大学の定義が難しいですが、就職にフォーカスを当てるなら、「社会的評価の高い大学」っていうかんじですかね?いわゆる高学歴な大学がそれにあたるのだと思います。

 

まあいい大学だから就職に有利というか、その大学にいい学生が多いから企業側が採ってくれているのだと考えることができるので、結局は勉強を頑張ることで何らかの力が鍛えられるといことは間違ってないのかもしれませんね。

 

 

 

結局、何が言いたいのか。

勉強をする意味についての僕なりの考えを書きましたが、結局、「勉強をすることは意味のあることだ」というのが僕の主張です。

 

論理的思考力や常識・教養、社会的ルール、こういったものを身に着けるためにも勉強は必要だし、学生の次は社会人として働くことになる人がほとんどだと考えると、良い大学に行くためにも勉強は必要なことなのです。

 

いい大学に行かなくとも社会人にはなれる、という声が聞こえてきそうですが、会社に入れば上層部にいるのは高学歴な人たちであり、社会のルールも高学歴な人たちが決めています。

また、実は生活保護を受けているのはほとんどが高卒以下の人たちです。勉強する意味とは直接関係はないですが、大学を出ておくことは就職の場には大きく影響してきます。

 

 

大学全入時代と言われている今ですが(と言っても大学進学率は50%程度ですが)、今後は大学に行くのはもっと当たり前なものになっていくのかもしれません。

そうなってくると勉強はもっとしなくてはいけないものになっていって、「なんで勉強しなくちゃいけないんだ!!!」って思う人が今以上に増えてしまうのかもしれませんね。(笑)

 

話が大学に行くべきか?みたいな話にずれてしまいましたね。

 

 

結局、勉強する意味がないっていうのは、勉強から逃げるための言い訳なのかなと思います。勉強が嫌だって気持ちになっている人を上の理由で納得させるのは難しそうですね…。

それに本来、勉強は苦しむものではなく、知的好奇心を追求し続けた先人たちのように、おもしろいもののはずです。今までわからなかったことがわかるようになる。それだけで勉強する意味としては十分意味を成しているような気もしますが。