悪口は言えばいうほど自分の格を下げるだけだよって話
どうも、あらきんです。
人は誰しも、馬が合わない人や考え方の違いからあまり好ましく思わない人がいると思います。いないなら、あなたはきっと大聖人。
できることなら、そういう人達とは関わりたくない。と思うのが人の常なのでしょうが、そうは言ってはいられないときって結構ありますよね。
そこでまた嫌な気持ちになって、「もうあの人のああいうところ、本当に嫌だ」って、嫌いな気持ちの重ね塗り。さらに嫌悪感が強くなる。そんな負のループ。ついつい悪口を言ってしまいたくなりますよね?そんなとき、グッとこらえて一度考えてみてほしい、そういう内容です。
悪口を話すことで楽な気持ちになる?
自分が誰かに嫌な気持ちになっているときに知り合いに会うと、ついつい悪口を言いたくなってしまうものです。なぜ、人は悪口を言いたくなってしまうのでしょうか?
ストレスや欲求不満を解消させるため
人はストレスがたまると、そのストレスから逃れようと脳が働き、攻撃的になるという性質があります。イライラの度が超えると攻撃的になるというのはなんとなくわかるのではないでしょうか?
嫌なことが重なり、ストレスがたまると人はその気持ちをどこかで発散したくなります。「他人と話す」という行為は、自分の感情を説明しなくてはいけないため、冷静に感情を整理する必要があり、気持ちの高まりを抑えてくれます。
さらに楽しい会話をすることで、多幸感をもたらす脳内物質が分泌され、ストレスが解消されるわけです。
特に女性は話を共感しあうことで結束を深める傾向があり、そのような手段の一つに悪口が一役買ってくれることがあります。共通の敵が仲を深めるのです。
悪口を言うということで、団結間や安心感、自己肯定感を得られ気持ちが幾分か楽になるのでしょう。
優越感を得るため
精神科医アルフレッドアドラーはこう言っています。「人間は劣等感を克服したい生き物である」と。
人には他の人より優秀な人間になりたい、人より良い評価をされたいといった欲望が必ず存在します。マズローというアメリカの心理学者がと唱えた欲求段階説の4段階目、「承認の欲求(Esteen)」がそれにあたります。
欲求段階説(よっきゅうだんかいせつ、英: Maslow's hierarchy of needs)とは、アメリカの心理学者アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。これは、マズローの欲求段階、自己実現理論とも称される。
そんな欲望があるため、人は劣等感を感じている相手に対して悪口をいうことで、その気持ちを一時的に消し去っているのです。心理的に落ち着くと言ったほうが正しいかもしれません。
あくまでも一時的なものなので、また不満が溜まり悪口を言ってしまうことになるのです。悪口は自分のプライドを慰める自己防衛の手段と言えそうですね。
悪口は自分の品格を下げる
ほかにも言ってしまう理由としては、同族嫌悪や相手を貶(おとし)めるためなどいろいろありそうですが、結局、悪口は人の心の働きによって言いたくなってしまうものだということは分かりました。
大切なのはその気持ちとどう付き合うかです。
悪口は自分自身を映す鏡でもあるのです。
人は、その人が話している内容から、その人のイメージを結びつけてしまうといいます。(これを「連合の法則」といいます。)悪口をいう人は当然悪い印象を他人に与えてしまっているのです。
人の悪口を言うときは一緒に話をする人がいるので、自分と同じ価値観の人だと思っています。相手との仲間意識を強く感じていますが、実際は悪口を言う人は自分の評価が下がっていることに気づいていません。
知らず知らずのうちに、自分の品位(それは自分から見ても、他人から見ても)を下げてしまっているのです。
悪口は言わないに越したことはありません。
それでも、どうしても言いたくなるときもあるでしょう。そんなときは、信頼のおける親密な人に、相手が不快にならない程度に言ってストレスを発散しては?
悪口をいう人に対して
個人的には悪口をいう人には近づかないのが一番だと考えています。触らぬ神に祟りなし的な?
有名な人や影響力のある人には、必ずアンチが現れますが、それはどこか認められているからだと言えます。言われたらポジティブに「自分は影響力のある人間なんだ」と捉えてみては?(単純に反省しないといけないことかもしれませんけど。)
えらい口ぶりでうだうだと書きましたが、結局言いたいのは、悪口もほどほどにということです。今日、電車で終始人の悪口を言っている人を見かけて思ったそういう話でした。おしまい。